岩村城跡目次
岩村城跡について
岩村城跡は、岐阜県恵那市岩村町字城山にある中世のお城の跡地です。
この岩村城跡がある岐阜県恵那市は岐阜県の東南、日本のほぼ真ん中に位置し、自然豊かで歴史ある街並みが残っています。
市街地から車で約20分の岩村町には、戦国の世に翻弄されながら必死に生きた、おんな城主の逸話が残っています。
築城から800年あまり、日本三大山城の一つで、日本百名城にも選ばれている岩村城は、 織田信長の叔母にあたる、おんな城主「おつやの方」が城主を務めた歴史もあり、最後まで領民を守ったと伝えられていることから「女城主の里」と呼ばれています。
「そんな歴史のあるまち岐阜県恵那市岩村町にある岩村城とはどんなお城なのでしょう?」
この岩村城は、城の本丸が海抜717メートルと、江戸時代の城の中で日本一標高が高い場所に築かれていたため、天守閣が残るお城の中で最も標高が高いところにある備中の松山城(岡山県)・麓と本丸の標高差が最も高い大和の高取城(奈良県)と並び日本三大山城の一つに数えられる名城とされています。
また中津川市の苗木城、可児市の兼山城と並び岐阜の三山城と称され、岐阜県指定史跡でもあります。さらには、日本城郭協会が認定する日本百名城に認定されており日本有数のお城として知られているのです!
このようなお城の立っている標高の高さから、付近は霧が多く発生するため、別名・霧ヶ城(きりがじょう)とも呼ばれます。
さらに、この霧ヶ城と呼ばれるようになった逸話が記された「巌邑府誌(いわむらふし)」という書物も存在しています。
『岩村城にはかつて17箇所もの井戸がありました。そのため、籠城作戦の際にも飲み水に困ることがありませんでした。なかでも八幡曲輪にある霧ヶ井戸は、城主専用の霊泉で敵が攻めてきた時、城内秘蔵の大蛇の骨をこの井戸に投じると、たちまちにして雲霧が湧き出て城を覆い尽くし、城を守ったのです』と伝説が残っています。
岩村城は、霧が立ちこまれるなかに建つ石垣の姿と残された伝説によって「東洋のマチュ・ピチュ」とも称されます。
「そんな岩村城の歴史を詳しく見てみましょう!」
岩村城は歴史も古く、岩村遠山氏が建造し代々城主となっていましたが、戦国時代末期に団忠正や河尻秀隆が城主となった時期もあります。
江戸時代には岩村藩の城となりました。
岩村城の正確な築城年数について示されている歴史的な史料は残されていませんが、永正年間(1504~21)ころまでには美濃の遠山氏により築城されたと考えられています。
さらに古い物では1185(文治元)年に源頼朝の家臣、加藤景廉(かげかど)により建てられた物だとする場合もありますが、いずれにしても詳細は分かっていません。
歴史上様々な城主の手で守られてきた岩村城ですが、特に有名な城主は女城主おつやの方です。
おつやの方は戦国時代から安土桃山時代にかけて生きた女性で、あの有名な織田信長の叔母にあたる人物です!
おつやの方にはこんな悲しき物語が今も言い伝えられています。
遠山氏の居城であった岩村城ですが、戦国時代に入るとこの城が美濃、信濃、三河の国境近くに位置しているため武田信玄と織田信長により領有を争う激しい争奪戦が始まります。
遠山氏最後の領主となった景任(かげとう)は、信長の援助もあり信玄の侵攻を防ぎますが、1571(元亀2)年に病没してしまいます。
そしてそのあとに城主となったのが、景任の未亡人である「おつやの方」でした。
これは信長の意向によるものですが、嫡男である御坊丸(ごぼうまる)がまだ幼かったために、信長の叔母でもあったおつやの方が城主になったと言われています。
この、歴史上非常に珍しい女性を城主に据えた城は、結局武田側の将である秋山虎繁(とらしげ)により攻め落とされます。
おつやの方はその進軍してきた虎繁の妻になると言う悲しき運命をたどりますが、それが信長の怒りを買ってしまい、1575(天正3)年岩村城を攻め落とし、虎繁とおつやの方を長良川の河川敷にて処刑します。
このような悲しき物語とともに守られてきた岩村城ですが、明治の廃城令で解体されることになり、現在は石垣が残されるのみとなりました。
「岩村城跡として親しまれるようになった岩村城」
このように岩村城は歴史的に重要なお城でしたが、お城解体後に観光地となった現在でも特徴的な部分が多くあります。
まず1つに、岩村城には天守閣はなく、本丸、二の丸が石垣で囲われた梯郭式山城ということです!この特徴は岩村城が解体された岩村城跡でもしっかり見ることが出来ます。
2つ目はは山全体に残る壮大な石垣構造があげられます!
それに合わせるように岩村城跡の入り口からは石畳が整備されており観光地としても歩きやすく見て回りやすいです。
これら石畳の山道を上った標高約700メートルの山頂には、巨大な石垣「六段壁」がそびえたちます!
最初に築いた石垣を補強するように長年かけて建造された壁は最終的に6段にまでなったそうです。
「六段壁」のさらに上の1番高いところには本丸跡が残っており、複雑に入り組んだ石垣群を見上げると、積み方が異なる部分も多いのが特徴です。
このように山間部に建てられた城らしく、本丸の跡に残された六段の石垣に霧が立ち込める姿は幻想的で、多くの人々が足を運んでいます。
岩村城跡の見どころ
岩村城跡は観光地として整備されているので、観光がとてもしやすいです!
総延長1.7kmにもおよぶ壮大なスケールの石垣類が集中して残る岩村城跡本丸付近までは車で行くことができるので、体力に少し不安のある方でも気軽に訪れることが出来ます。
ですが、特に足腰に不安のない方は徒歩での登城をオススメします。
お城近くにある岩村歴史資料館に車を停めて、登城坂の石畳を800m登れば約20~30分で岩村城跡本丸に到着します。
少し急こう配な箇所もありますが、運動靴など動きやすい靴を履いてタオルと飲み物を持参していけば大丈夫だと思います。
距離が800mとそこまで長くないので、無理せず途中休憩をはさみながらゆっくり登城を楽しんでください。
徒歩での登城は難攻不落の山城のスケールの大きさがより肌で感じられ、どのようにして山頂に石垣が積まれていったのかなどに思いをめぐらせながらの散策を味わえます。
岩村城跡本丸までの道のりは各ポイントが用意されており、それぞれの看板にお城の要所としてどういう役目を果たしていたのか案内が書いてあります。
看板ごとに残り何メートルかの記載があるので、後どれくらい登るのかも確認できます。
頂上の石垣付近のほか、城内15ヶ所に設置された看板の QR コードをスマホ・タブレットで読み込むと、それぞれの箇所の音声ナレーションによる解説とともに、再現 CG 映像を見ることが出来ます。
昔の景色と、現在の景色を見比べられながら散策できるのでとてもオススメです!
このように昔の景色を見ながら、実際の山道を通ってお城の頂上を目指すことで、岩村城に攻め込むのがいかに難しく、堅牢な城であったかが体験できます。
また岩村城跡の観光で欠かせないのが絶景スポットでの写真撮影です。
有名な写真撮影スポットは全部で3つ!
1つ目が麓の太鼓櫓付近です。こちらは太陽の日差しを浴びた午前中がオススメです。
2つ目は六段壁です。こちらは緑生い茂る自然のやさしさと、力強くそびえる石壁の存在感のコントラストが素晴らしいです。
3つ目は本丸埋門です。ここでは、野面積み・打ち込みハギ・切込ハギといった3種の積み方の異なった石垣を1か所で見ることが出来ます。
複雑に、高度な技術によって築城された岩村城の象徴ともいえるスポットです。
またお城のふもと、岩村藩主邸跡には「岩村歴史資料館」という資料館があります。
この資料館には、重要文化財の八幡神社の棟札や岩村城絵図、佐藤一斎自讃画像軸といった、岩村城、岩村藩の史料が収蔵・展示されています。
また岩村城の家紋があしらわれている鬼瓦や藩主邸の太鼓櫓にあった太鼓、岩村城の模型も展示されています。
さらに館内では、『地域的聚落史的に眺めた岩村城下町』『岩村藩歴代藩主略譜』『岩村藩藩士歴世略譜(上・下)』など関連書籍も販売されているので、歴史好き、お城好きにはおススメです!
岩村城跡の周辺
岩村城跡の周辺の観光スポットとして欠かすことが出来ないのが「岩村城下町」です!
明知鉄道岩村駅から岩村城跡までをつなぐ本通りに広がるのが、城下町です。
商店街となっている城下町は全長1.3㎞にもおよび、そのなかでは当時の面影を残す商家やなまこ壁、旧家などの古い街並みを見て回ることが出来ます。
そのなかで、岩村城跡のある山を見ながら城下町を歩いていると、「おんな城主の里」として、家族の女性の名前を記した、のれんを掛けているお店をよく目にします。
ここでは、歴史上でも珍しいおんな城主としてこの岩村の地で親しまれている「おつやの方」を掲げてまちおこしをしており、観光名所としてとても活気づいています。
古い街並みをそのまま残した木造家屋を利用したカフェがたくさんあり、落ち着いた時間を過ごすことが出来ますし、お食事処で、おんな城主にちなんだ華やかな食事を楽しんだり、美しいおんな城主の絵が描かれた日本酒をお土産に買ったりと1日中楽しむことが出来ます。
また春には「いわむら城下町のひなまつり」が行われます!
このお祭りは、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている岩村本通りとその周辺約110箇所に、江戸時代から藩主邸に伝わるおひな様や色鮮やかな土雛、住民手作りのおひな様など多種多彩なおひなさま総数約3,000 体が展示・公開される地域最大級のひなまつりです。
開催期間中はおひな様の展示以外にもひな祭りにちなんだイベントがたくさん開催されるので、おススメです!
アクセス
岩村城跡は岐阜県恵那市岩村町の街中から山側に位置していて、付近には国道257号線が通っている為、車でアクセスしやすいです。
また、城下町のある岩村町本通りからも比較的近いため、徒歩でも行く事ができます!
駐車場は2つあります。
徒歩で登城口を登っていく場合と岩村城跡本丸付近まで車で行く場合は駐車場が違っていて、どちらも無料で利用することができます。
もし徒歩で登る事はせず、本丸付近まで車で行く場合は国道257号を愛知方面側に向かうと左側に岩村城と書かれた看板があるのでそこを曲がるとたどり着く事ができますが、少し道が狭いので注意が必要です!
また電車を利用して訪れるなら、JR中央線恵那駅から明知鉄道に乗り換えて岩村駅で下車、徒歩約20分で到着です。
岩村歴史資料館までは城下町の岩村町本通りの少し狭い道からか国道363号側から行く事ができます。
大型バスのような大きな自動車の場合は363号側から入れます。
岩村歴史資料館の駐車場はかなり広く、大型バスでも余裕で転回ができる広さとなっています。
トイレは資料館裏側に用意されています。
岩村城跡は観光スポットとしてバスツアーで観光客が来るほど有名な場所なのでアクセスしやすくなっています。
開館時間は、岩村城は散策自由。
岩村歴史資料館は4月から11月のあいだは午前9時から午後5時、12月から3月のあいだは午前9時半から午後4時、月曜日(祝日と重なった場合は翌日)、祝日の翌日、年末年始(12月28日から1月4日)が休館日となっています。